編集長の思い出 第6話 愛犬の話題

最近は箱根でもペット同伴OKの宿が増えてきているので、月に一度位はお客様とワンちゃんがご一緒の送迎(当然、規則によりワンちゃんはケースの中)があります。担当するタクシー車内でそんな時にしばしば話題になるのが、45年以上前に一緒に暮らしていたパピヨンの話。
名前は美馬パピー(登録名)。実はこのパピヨン、ブリーダーやペットショップで出会ったのではなく、私の家族が職場の出張で出かけた原宿駅で出会ったのです。最近の言い方では保護犬になるんでしょうか。
朝、出張先に向かう途中、原宿駅の脇にに繋がれていて、夕方戻る時にまだ繋がれていたので、迷子の犬ではと駅の傍の交番に届けたそうです。
交番のお巡りさんは「元の飼い主が見つからないと処分されてしまうので、しばらく預かって貰えないか。」と言うことになって私の自宅にやってきました。当時高校3年生だった私は帰宅したら見慣れぬ犬がいてビックリ。たまたまテレビ番組で犬の犬種の説明を見ていたので、耳の形とカラーリングから「これはパピヨンと言う高級な犬種だ。」と断言。家族一同「高級な犬種ならすぐに飼い主も見つかるだろう。」と一旦安堵しました。しかし、数日後、このワンちゃんの言動(犬の言動を言動と言うのかは不明ですが・・・)から「この犬はひょっとしたら捨てられていたのでは・・。飼い主は出てこないのでは。」と家族一同少しづつ不安になってきました。気に食わないことがあると吠える、噛みつく、同じ食事は連続して食べない、経済的合理性の高いビタワンは決して口にしない、散歩は1日最低3回しないと気が済まないなど・・・。
自宅にやって来て1ヶ月後、交番のお巡りさんから元の飼い主が見つからないので当面預かって欲しいとの電話が。その結果、美馬パピーとして登録。
しばらくして、皮膚病や様々な病気が見つかり、その度に「不機嫌の原因はこれだったか。」と希望を持ちながら病院に連れて行きましたが、言動は一向に改善せず、いつの間にか彼がいる風景が自宅の日常になりました。ちなみに私の役割はお散歩係。休みの日は1日に5回は散歩に出かけていました。
朝は彼に起こされて朝の散歩、1日の終わりにまた散歩。
しかし、別れは突然やって来ました。或る日の昼下がりいつもの公園でいつものように散歩していた時に血便を発見。掛かりつけの動物病院に連れて行ったものの原因が分からず、翌日静かに息を引き取りました。
亡くなった時に掛かりつけの病院の先生が言った一言「最初の3年は分からないけど、最後の5年はきっと幸せだったと思いますよ。」
その言葉が今も忘れられません。。
写真は1977年頃(パピーが自宅に来た1年後位)に持っていた一眼レフペトリV6Ⅱで撮影したものです。白黒のパピヨンはカラーフィルムだと性格がきつく(実際に性格はきつかった・・・)見えるので、モノクロフィルムを用意しました。