編集長の思い出

 タクシーに乗務していると様々な方とお話をします。編集長の思い出に残るお客様との出会いについてお話ししたいと思います。


第1話 60歳のハッピーバースデー


 乗務員としての研修が終わり、一人で業務を始めたころの話です。
 箱根湯本駅から4人のご家族が乗車されました。お嬢様が私が左腕に付けていた新人と書かれた腕章に気が付いたご様子。
 「運転手さん、新人ですか。」
 「はい、2年前に箱根に移住してきて、今月からこの仕事についています。」
 お父様から
 「移住、良いですね。羨ましいです。でも、まだお若いでしょ?」
 「先日60歳の誕生日を迎えました。」
 「えっ、そんな歳に見えませんけど。でもおめでとうございます。」
 お嬢様
 「ハッピーバースデ―、運転手さん。」
 「ありがとうございます。」

 と車内は私の誕生日と移住の話で大変盛り上がりましたが・・・。
 気が付いたら、行先の旅館は車窓の後方。

 「申し訳ありません。」
 お父様
 「おめでたいし、良い話を聞かせてくれたから。」と皆様、笑顔で降車されました。

 新人だから許されたミステイクでした。


第2話 初めての観光タクシー


 まだ、新人と言われていた10月のある日の昼過ぎ、箱根湯本の駅から年配の男性と中年の男性お二人がご乗車されました。
 「運転手さん、2時間30分貸切でお願いします。箱根らしい場所をめぐって最後はこのホテルにつけてください。」
 低音の太い印象的な声です。
 年配の男性はお二人のお父様で足が悪いので、外には出ないとのこと。空は今にも雨が降り出しそうな雰囲気。
 この天気で、外に出ずに箱根らしい場所?頭をフル回転して箱根らしい場所を検索します。  
 まず、国道1号線を強羅に向かって走ります。塔ノ沢にある函嶺洞門、福住楼、環翠楼、一乃湯本館を車窓からご覧いただきます。
 それから、大平台のヘアピンカーブ、富士屋ホテル。すすき草原、大涌谷下の噴煙の上がっている場所、二十五菩薩を回って箱根神社へ。
 ここで、息子さんお二人はお参り。最後に旧道を通って、東海道の石畳と甘酒茶屋を説明して、箱根湯本のホテルにお送りしました。
 降車の際に 「新人だったので、至らないところがあって、申し訳ありませんでした。」とお詫びしたところ、お父様から
 「箱根には何度も来ているけど、初めて聞く話ばかりで楽しかったよ。」とお話になられ、チップまでいただきました。

 それから、2年ほど経ったある日、コロナ禍の休業日。愛車で買い物に出かけている時に電話が。
 「以前、世話になったんですが、今日、また観光をお願いできませんか。」多分、あの男性の声です。
 「申し訳ありません。今日は休業日なんです。」
 「そうですか。残念です。」と電話は切れました。

 前日にお電話いただいていればと悔やまれます。


第3話 クリスマスイブの告白


 2019年12月24日の夕方だったと思います。箱根湯本の駅前で待機していると、若い女性が声をかけてきました。
 「運転手さん、このレストランにお願いしたいんですけど。」とメモを見せられました。強羅にある有名なステーキハウスです。
 「かしこりました。」とドアを開けると、
 「メーターは入れてもらって構いませんが、連れの男性がすぐに来ます。その男性には行先を悟られないようにしてもらえますか。」
 何かご事情がある様子。
 「実は今日、彼に告白するんです。このレストラン、相応しい場所かちょっと心配で。」
 なるほど、そう言うことですか。
 「バッチリなシチュエーションだと思いますよ。」

 しばらくすると、男性がやってきて乗車されました。強羅までの20分間、お二人は大学やサークルの話を楽しそうにされていました。
 恐らく、同じ大学のサークルにいらっしゃって、男性が1学年上のご様子。

 強羅のレストランに到着すると一旦、お二人は降車され、女性がお支払いをされました。
 「運転手さん、ありがとうございました。なんか上手くいきそうなきがしてきました。」
 「頑張ってくださいね。応援してますよ。」

 残念ながら、私は強羅の担当ではなかったので、お帰りは担当することができませんでした。
 今でもクリスマスイブが来ると、あの時のお二人は今どう過ごされているのかと、ふと頭を過ります。


第4話 お客様との運命的な再会


 この仕事をしていると、以前お乗りになったお客様を担当することがあり、懐かしい話で盛り上がることがありますが、このご夫婦との再会は特に印象的でした。

 2019年9月のある日、箱根湯本駅前から一人の男性が乗車されました。行先は仙石原の老舗旅館。
 温泉好きの男性で温泉談議で盛り上がりました。
 「お客様が箱根で特にお薦めの宿はどこですか。」
 「今日の宿もお薦めだけど、強羅のあの宿も良い。温泉も良いしほったらされ感も良い。」
 「あの宿は私も気になってるんですよねぇ。今度行こうかなぁ。」
 「でも、あの宿の露天は超でかい蜘蛛が出てくるんだよ。行くんだったら冬が良いかな。」
 「分かりました。じゃ行くときは冬にします。」と言う会話をしながら宿にお送りしました。

 それから半年後、今度はご夫婦を仙石原の老舗旅館にお送りしました。今度は奥様と温泉の話で盛り上がり、降車される時に奥様から
 「運転手さん、facebookとかしてます?」
 「facebookはやってます。同姓同名の別人が京都にいますが、箱根だったら私です。」
 「じゃ、探してみますね。」

 降車されてしばらくすると友達申請が。もちろん、承認。するとメッセージが。
 「明日11時、迎えに来れますか。」
 「かしこまりました。」と返信。

 翌日、箱根湯本までの間も温泉談議で車内は盛り上がりました。
 最後に奥様から
 「運転手さんの特にお薦めの宿はありますか。」
 「私もまだ行けてないんですが、以前お乗せしたお客さんからお薦めされた強羅の宿です。」
 「でも、この宿の露天風呂に大きな蜘蛛が出てくるので、冬が良いらしいです。」
 「ありがとうございます。参考にします。」とご夫婦は降車されました。

 その日のランチタイム、facebookのメッセージに着信が。
 「先程の強羅の宿の露天の蜘蛛の話、うちの夫らしいです。」凄い偶然です。

 その後は、箱根にお越しの際はご指名いただいています。運命的な再開でした。


第5話  今日は箱根の温泉と食事を楽しんでください


 コロナが少し落ち着いた2022年初め頃だったと思います。夕刻、箱根湯本駅で女性4名の方が乗車されました。
 行先は桃源台のホテルです。同じ職場で、一人の方が残業で出発が遅れたようです。
 会話の内容から病院にお勤めのご様子です。多分、看護師の方。会話が一段落したところで、
 「皆さん、今日はお仕事だったんですね。お疲れ様でした。」
 「運転手さん、私たちなんの仕事してるか分かります。」
 「えっ、看護師の方ではないんですか。」
 「何で分かったんですか。私たち気を付けてたんですけど。」
 「だって、病棟とか、オペとか、ドクターって言葉は普通のOLの方は使わないですから。」
 「そっかぁ。もっと気を付けないといけないなぁ。でも、運転手さん、なんとも思わないんですか。」
 どうやら、都内では一部のタクシー乗務員が病院関係者の乗車を敬遠しているとのことで家まで歩いて帰ることもあるらしい。
 4人は同期でみんなが揃うのは2年ぶり。
 今日は婦長から「みんな頑張ってきたから、今日は羽を伸ばして来て。」と送り出されてきたとのこと。

 「全然気になりませんよ。それよりも皆さんは大変なお仕事をしてきたんですから、今日は箱根の温泉と食事を楽しんでくださいね。」
 「ありがとうございます。そう言ってくれると嬉しいです。」そう言って降車されました。

 思いっきり箱根を楽しんで欲しい4人組の看護師の方でした。


第6話 愛犬の話題


 最近は箱根でもペット同伴OKの宿が増えてきているので、月に一度位はお客様とワンちゃんがご一緒の送迎(当然、規則によりワンちゃんはケースの中)があります。担当するタクシー車内でそんな時にしばしば話題になるのが、45年以上前に一緒に暮らしていたパピヨンの話。
 名前は美馬パピー(登録名)。実はこのパピヨン、ブリーダーやペットショップで出会ったのではなく、私の家族が職場の出張で出かけた原宿駅で出会ったのです。最近の言い方では保護犬になるんでしょうか。
 朝、出張先に向かう途中、原宿駅の脇にに繋がれていて、夕方戻る時にまだ繋がれていたので、迷子の犬ではと駅の傍の交番に届けたそうです。
交番のお巡りさんは「元の飼い主が見つからないと処分されてしまうので、しばらく預かって貰えないか。」と言うことになって私の自宅にやってきました。当時高校3年生だった私は帰宅したら見慣れぬ犬がいてビックリ。たまたまテレビ番組で犬の犬種の説明を見ていたので、耳の形とカラーリングから「これはパピヨンと言う高級な犬種だ。」と断言。家族一同「高級な犬種ならすぐに飼い主も見つかるだろう。」と一旦安堵しました。しかし、数日後、このワンちゃんの言動(犬の言動を言動と言うのかは不明ですが・・・)から「この犬はひょっとしたら捨てられていたのでは・・。飼い主は出てこないのでは。」と家族一同少しづつ不安になってきました。気に食わないことがあると吠える、噛みつく、同じ食事は連続して食べない、経済的合理性の高いビタワンは決して口にしない、散歩は1日最低3回しないと気が済まないなど・・・。
 自宅にやって来て1ヶ月後、交番のお巡りさんから元の飼い主が見つからないので当面預かって欲しいとの電話が。その結果、美馬パピーとして登録。
 しばらくして、皮膚病や様々な病気が見つかり、その度に「不機嫌の原因はこれだったか。」と希望を持ちながら病院に連れて行きましたが、言動は一向に改善せず、いつの間にか彼がいる風景が自宅の日常になりました。ちなみに私の役割はお散歩係。休みの日は1日に5回は散歩に出かけていました。
 朝は彼に起こされて朝の散歩、1日の終わりにまた散歩。
 しかし、別れは突然やって来ました。或る日の昼下がりいつもの公園でいつものように散歩していた時に血便を発見。掛かりつけの動物病院に連れて行ったものの原因が分からず、翌日静かに息を引き取りました。
 亡くなった時に掛かりつけの病院の先生が言った一言「最初の3年は分からないけど、最後の5年はきっと幸せだったと思いますよ。」
 その言葉が今も忘れられません。。
 写真は1977年頃(パピーが自宅に来た1年後位)に持っていた一眼レフペトリV6Ⅱで撮影したものです。白黒のパピヨンはカラーフィルムだと性格がきつく(実際に性格はきつかった・・・)見えるので、モノクロフィルムを用意しました。


第7話 お蕎麦屋さんの焼き魚定食
お蕎麦屋さんの焼き


 この仕事をしているとテレビ局の取材を受けることがあります。2019年5月に大涌谷のガス濃度が上昇して立ち入り禁止になった時にも強羅駅前にテレビ局のクルーがやってきて、お店の方やタクシー乗務員に取材。私も取材されてその姿が夕方のテレビで放送。知り合いがビックリしたとメールしてきました。

 さて、3年位前だと思います。在京のテレビ局のディレクターとカメラマンがやってきて、「運転手さんのお薦めのお店に連れて行って欲しい。」と。今は定番になっているあの番組。今は美味しければ何でもOKの乗りですが、当時は乗務員とお店の人が知り合いでなければならないと言うルールが存在。今よりもかなりハードルが高かった。しかも、コロナで休業だらけの時代。
 他の乗務員が断る中、お鉢が私に。
 ディレクターが
 「このお店に連れて行って欲しいんですけど。お店の人ご存じですか。」
 「オーナーご夫妻と知り合いです。でも、混んでると思いますよ。」
 「大丈夫です。」と言うことで仙石原へ。ところがお店の前に着くとまさかの臨時休業。
 「それでは、美馬さんのお薦めのお店で結構です。」
 「この近所ならお蕎麦の美味しいお店がありますよ。」
 「ごめんなさい。お蕎麦は長野で、ラーメンは宇都宮でやったからダメなんです。寿司もダメだなぁ。」行きつけの寿司屋はないけど。
 「お蕎麦屋さんの裏メニューに焼き魚定食があって、めちゃ美味いんですけど。」
 「それそれ。それで行きましょう。」と言うことになってお蕎麦屋さんにディレクターが電話。通常は取お断りらしいのですが、タクシー乗務員の紹介ならばと言うことで、閉店後の取材がOKになりました。
 15時過ぎに入店。女将さんが「あー、紹介したのあんたなのね。で、何食べるの?」
 「焼き魚定食をお願いします。」ディレクターも「私も焼き魚で。」
 途端に女将さんが
 「あんたたちね、蕎麦屋に来て二人とも焼き魚を食べるってどういうこと!」とお叱りが。
 ディレクターが事情を説明して、「まっ、しょうがないか。」と言うことになって二人とも焼き魚がOKに。
 美味しかったし、面白い画像と音声が取れてみんな大満足。女将さんも「焼き魚多めに仕入れとかないと。」
 しかし、その1週間後、ディレクターから電話があり、「東北の乗務員の話が長くなって、尺が足りなくなった。」と言うことでお蔵入り。
 「次回、また宜しくお願いします。」と言われましたが、まだ、次回の連絡がきていません。でも、女将さんとの絆は深まりました。とさ。



第8話 オーストラリア人はサッポロが嫌い?


 去年の春だったと思います。強羅駅から三人の外国人の方がお乗りになりました。恐らく中年のご夫婦と息子さん。行先は小田原駅。
 最初は皆さん黙っていましたが、宮ノ下でお父様が日本語で話しかけてこられました。
 「これは何ですか?」
 「富士屋ホテルです。1878年創業の箱根を代表するホテルです。」
 「素晴らしい。私の日本語が通じて嬉しいです。」
 「お上手ですよ。どこで日本語を勉強されたんですか。」
 「30年程前に福岡で仕事をしていました。それで日本語を少し覚えました。妻ともそこで知り合い、結婚しました。今は家族でオーストラリアに住んでます。」
 「では、30年ぶりに日本に来られたんですか。」
 「そうです。息子がアニメ好きで日本語を覚えて、日本に行きたいと行ったので、連れてきました。」
 「息子さん、アニメは何が好きですか。」
 「ガンダム、ワンピースも面白かったけど、今回はエヴァンゲリオンの舞台になった箱根に来ました。」
 「箱根はどうでしたか。」
 「仙石原の風景が素晴らしい。温泉も良かった。」
 そこでお父様が、
 「私たちは東京に戻りますが、日本には暫くいます。どこかお薦めはありますか?」
 「京都も良いし、札幌もお薦めです。」
 「京都は箱根の前に行ってきました。サッポロはきらいですね。」私が大好きな札幌が嫌い?それはなぜ?
 「なんで札幌が嫌いなんですか。」
 「昔、仕事で行きました。夜景がワンダフル、食事も美味しい。」そこで、私はピンときました。ひょっとして・・・、
 「ノットライク イズ キライ。ビューティフル イズ キレイ。」(この英語が正しいかは別にして)
 「おー、間違えていました。サッポロは奇麗です。大好きです。」やっぱり。間違えに気が付いてもらえて良かった。
 息子さんが、
 「サッポロに行ったら、何が美味しいですか。」
 「海鮮丼も美味しいけど、味噌ラーメンもお薦めです。」
 「ラーメンは○○屋で食べました。美味しかったです。」福岡の豚骨ラーメンのお店です。
 「○○屋なら豚骨ですね。サッポロラーメンなら味噌がお薦めです。」
 「豚骨?味噌?」日本のラーメンは地域によってスープや麺の作り方が異なることを説明してあげました。
 小田原駅で降車される時、お父様から、
 「今日は久しぶりに日本語で話せて楽しかったです。来週、サッポロに行ってみます。いろいろとありがとう。」
とお声をかけてもらいました。ほんのちょっぴり国際貢献ができたかなと感じたお客様でした。


第9話 ある雪の日に


 ある年の4月初め、箱根は夕方から季節外れの雪が降り始めました。日勤だった私は駅前のお客様の行列が解消してから会社に戻り、家路についたのですが、自宅まであと数分と言う場所まで来て渋滞。箱根は宮ノ下の富士屋ホテルまでは雪が積もらないのですが、宮ノ下を過ぎた辺り(標高500m附近)からは状況が一変します。都内からお越しの方は「ここまで来れたから大丈夫だろう。」とノーマルのタイヤのまま登って来られますが、箱根山中の雪の坂道は国道であっても甘くありません。地元の人は12月~4月上旬はスタッドレスタイヤを装着。私は4輪駆動車にスタッドレスタイヤにしています。

 小涌谷駅横の踏切手前から進めなくなった車が立往生。進める車は対向車の隙間を縫って1台、また1台と少しづつ進むしかありません。
 「仕方ないなぁ。」とぼんやり外を見ていると、真っ暗なバス停に二つの人影が・・・。恐らくバスは運休しているはずです。
 「暫く待っていたら、バスが来ないことに気が付くだろう。」と一旦はバス停の横を進んで行ったのですが、どうしても二つの人影が気になります。「取りあえず、バスが来ないことだけを伝えるか。」踏切を超えたところでUターン。
 バス停には寒そうに二人の女性が佇んでいました。運転席側の窓を開けて、
 「バスは多分、運休ですよ。」と大声で告げると
 「この上のセブンイレブンまで夕食買いに行くんです。歩いたらどのくらいかかりますか?」
 雪がなければ10分位の距離ですが、雪の中を慣れない女性ではちょっと無理な感じです。どうやら宿に泊っている様子ようなので、
 「この雪で行くのは危険なので、宿で夕食を用意してもらったらどうですか?」
 「頼んだんですけど、余分な食材がないみたいで、用意できないって!」確かに最近の宿は予約の分しか食材を用意していない処が多い。
 「明日の朝まで辛抱できませんか?」
 「無理です!それに明日の朝食もないんです。」「えーっ。」
 と言うことで、お二人は私の4輪駆動車の後部座席に乗って、セブンイレブンに向かうことになりました。お二人は都内の女子大生。
 「ありがとうございます。帰りは歩いて帰りますから。」
 「下りは登りよりも危険ですよ。今日は帰りも送りますから、必要なものは全部買ってきてください。」
 「おいくらですか?」
 自分自身はタクシーの乗務員であること、自家用車で有償で人を運ぶことは白タク行為になること、タクシーの乗務員が白タク行為をすると厳しい罰則があることなどを説明して、お金は受け取れないことを納得してもらいました。
 買物が終わって宿の前まで送ると、一人の女性が、
 「ありがとうございました。とても助かりました。それからとても勉強になりました。これ差し入れです。」と珈琲を渡してくれました。
 「ありがとう。これに懲りずにまた、箱根に来てくださいね。」
 「この次は天気の良い日に来ます。その時はタクシーに乗りますね。」と言って別れました。
 雪は夜のうちに止んで、翌日は晴れ。まぁ、何事も無くて良かったです。

第10話 成田空港そばのホテルでの出来事


 去年の桜が咲き始めたころの話です。朝一で芦ノ湖湖畔の高級ホテルから外国人の家族3名様を成田空港そばのホテルまでお送りしました。
 幸いにも、出発が早かったので、渋滞もなくホテルのエントランスに到着。料金は確か高速代を含めて6万円程になっていました。
 まぁ、成田までなら平均的な料金です。奥様とお子様はさっさと降車され、荷物を持ってホテルのフロントへ。
 旦那様は上機嫌で、
 「パーフェクト!」とポケットから財布を取り出し、カードを抜き取りました。私は拙い英語で、料金を伝えました。すると、旦那様はカードの代わりにスマホを向けてきました。
 「なぜ、こんなに高いんだ。4万円のはずだろう。」
 私はタブレットを取り出し、翻訳ソフトを立ち上げると、
 「箱根から成田は高速代を入れるとこのくらいの料金です。箱根から羽田は4万円弱です。」と説明。
 「そんなはずはない。昨夜、妻がホテルのフロントに確認したんだ。その時にホテルがタクシー会社に確認して、4万円と言われた。」
 「成田と羽田を間違えたんじゃないですか?」言った後で、この言い方はまずかったと気が付きましたが、後の祭り。
 「私の妻はそんなこと間違えるはずがない!しかも、このホテルは羽田にはないじゃないか。」と。車内は超険悪なムードに。
 「では、ホテルに確認しては如何ですか?」
 「そうだな。電話してくれ。」「えっ、私が。」と思いましたが、張り詰めた雰囲気を打開するにはこれしかないと携帯で電話を。
 当時、操作性を重視していた私の携帯電話はガラケー。
 ホテルの女性スタッフに会社名とお客様の名前を告げて電話をお客様に渡します。しばらくするとお客様が電話を返してきました。
 ホテルのスタッフが、
 「4万円と言っちゃったんですか?」と私に質問が・・・。どうやら状況が正しく伝わっていない様子。
 「私は金額のことは一切言っていません。昨夜、そちらのフロントのスタッフがタクシー会社に確認して4万円と伝えたようです。」
 「えっ、ほんとですか!」ホテルのスタッフもようやく事の重大性に気が付いた様子。
 「も、もう一度お客様をお願いします。」
 今度は旦那様は強い口調で話しています。

 また、携帯電話を返されたので、携帯に耳を当てると、
 「この時間、ナイトのスタッフが帰宅しているので、昨夜の確認ができません。支配人に相談しますので、少々お待ちください。」
 と言うことで、旦那様と私の二人が車内で沈黙の時間を過ごすことになりました。よく映画で仲の悪い二人とか、敵味方同士二人が時間を過ごすシーンがありますが、丁度そんな感じです。旦那様は電話を代わったあたりから助手席に移動しています。
・・・参ったなぁ、大変なことになっちゃったなぁ・・・、忘れ物が無いか後部座席と荷室の確認でもしておくか。
 「ソーリー。」と声をかけてリアゲートを上げて荷室を確認。何もなし。後部座席を確認するとシートにスカイラインのミニカーが。
 タブレットで、
 「これはお子さんの持ち物ではないですか。」お尋ねます。
 「おーぉ、これは息子の大切な愛車なんだ。彼は将来、プロのドライバーになりたいらしいんだ。」と久しぶりの笑顔。
 「奥様も美しいです。」
 「彼女は素晴らしい女性なんだ。」と自慢話が始まりました。スマホとタブレットを駆使してのコミュニケーション。
 30分以上経ってようやくホテルから電話がかかってきました。携帯をお客様に渡します。お客様は再び強い口調で話しています。
 ふと見ると、タブレットが頼みもしないのにお客様の話を翻訳しているのに気が付きました。
 「いつまで待たせるんだ。タクシーのドライバーもずっと待っているんだ。彼は関係ないのに可愛そうだ。」
 数分話していましたが、ようやく納得されたようで通話は終わり、カードを差し出してこられました。
 どう解決したのかは分かりませんが、私としては一件落着です。ふー。
 別れ際、お客様は手を出してこられたので、手袋を外して握手。お客様が差し出したスマホの画面には、
 「今日は貴方が担当で良かった。」と。大変貴重な経験をさせていただきました。